悲しい出来事

ponta

2009年01月11日 17:52

とても悲しい出来事が起きてしまいました。
ここに書くか書かぬか迷ったのですが自分の日記というつもりで書き留めたいと思い綴ります。
楽しい内容ではありませんので読んで頂かなくても結構です。
書いといて“読むな”は無責任すぎることと思いますが・・ご容赦のほどm(_ _)m
1月9日(金)に愛犬リリーちゃんが亡くなりました。


年末の押し迫った頃、どうも左後ろ足の様子がおかしいため一度病院へ。
その時は「どこが原因なのか」が分からないこともあり、痛み止めを処方して貰い帰宅。
翌日はとても元気な様子を見せてくれていました。

発端は12月30日午後3時頃のこと。
家で痙攣が起きました。
初めての事だったのでうろたえた母が私の携帯に連絡するも私は仕事中ですぐに出られず、30分後にカミサンに電話してみました。
するとリリーが痙攣してたという事を聞くが当然何が起きたのかは皆目分からず。
翌日(31日)仕事が昼からだったので、午前中に病院へ。
どう説明しても医者的には想像で話すしかないようで、若干イラっとしたが致し方なし。
そんな時、突然2度目の痙攣を発症。
痙攣を抑制する注射を打ってもらい、検査のために預けることに。

1月1日午前中にお医者様へ行き容態を聞く。
痙攣その他の影響はもしかして脳炎を発症しているからかも。という思いもかけないお言葉。
年末年始の時期で検査機関が休みのため始業してからの検査になるとのこと。

1月2日午前中も顔を見に行く。
今日は朝から元気な様子を見せてくれた。早く検査を受けたいものと思っていました。

毎日見てると変化が分からなくなると思い1日空けて4日に会いに行く。
ここでまたしても思いがけないことを言われる。
脳炎のほかにもう一つ「子宮蓄膿症」を発症しており、すぐにオペをしないと確実に死んでしまうと。
リリーの前にいた子も同じ子宮蓄膿症を患ったことがあるためこの症状と重さは十分に承知していた。
この日の夜、緊急手術。とりあえず無事に終了。

5日に術後の経過などなどを聞きにいく。あまり容態は良くないようだ。
6日は仕事で行かれず7日に病院へ。
ますます元気が無い。発作はないものの微量な痙攣が見られる。
8日も仕事で行かれず9日に病院へ。

見た時に正直「長くないかも」と思ってしまった。
良くなったとしても元通りには直らないだろうという宣告を受けた気分。
この日の夕方に子どもの保育園で先生との面談があるためカミサンと一緒に行き、帰りに3人で夕飯を食べるためファミレスに入り食事していた所に病院からの電話が入る。
出なくても見当はついていたが出ないわけにいかず・・・「呼吸が止まりそう。来れる状況でしたら早く来て」という内容。
いつになく楽しそうに食事をしている子供の顔を見ると途中でやめさせたら可愛そうなので、内心イライラいながら食べ終わるのを待つ。
その後、カミサンと子供を家に送り届け私だけ病院へ。

間に合いませんでした・・・

電話を貰ってから30分後に到着したのですが、すでに15分前くらいに心肺停止。
亡骸を箱に入れて貰った状態で無言の帰宅となりました。
家へ帰る道・・・仕事柄の性か、焼き場の確認などしてしまった。(父の時もそうだった)

享年10歳7ヶ月
まだ早いかな?

リリーは私が最初の独身のときに我が家へ来ました。
タレ目で口元がフガッって感じ(上手く言えません)の愛嬌のある顔で、かなり悪戯してくれました(笑)
家に来て数日後パルボウィルスに感染し生死をさまよいますが九死に一生を得、どんどん元気になりました。
そして私の最初の結婚と離婚を一緒に経験し、そして再婚。
人懐っこい性格のため今のカミサンも受け入れてくれました。
そして今度は愛猫タビーが我が家へ。
数ヶ月「誰だー、お前ー!」って感じで吠えてましたが、時期に慣れ・・・これも受け入れてくれました。
そんでもって子供が出来て更に慌しくなった我が家においてリリーは古株の風格でした(爆)

最初は100%をリリーに注ぎ込んでいた時間が、タビーが来て半分こになり、子供が出来て子供vsリリー&タビーという時間配分になってしまいました。
最近は朝、保育園に行くため車に向かう間はカミサン、子供、僕、リリーとのお散歩と、夜子供をお風呂に入れる前に廊下を二人で走りまわるのが毎日の日課でした。
ついこの間まで元気だったのに・・・
考えたって仕方ありませんが、10日間の入院生活で逝ってしまいました。

楽しい時間でした。
もう苦しまなくなってよかったねと言ってやりました。

今日、荼毘に付しお骨で帰宅。
リリーちゃん、安らかにね





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